平井寺文化財散策 

 平井寺の義民、林徳左衛門。

延宝三年の大飢饉の時、庄屋だった徳左衛門は、一人で窮状を訴えました。

 上田藩の収納米が六六、八一七表のところ二二、000表も減じた「この飢饉のため農民はのびるをとり塩に和し、木の芽をつみ草の根を堀或いは焼酎のかすをあら慷にてこし、団子に練りて一時をしのがんとせしに、その毒にあたりて膨張し死せるもの道路に充満す」という有様であった。上田藩はこの飢饉に際しても年貢をなお加増して、米にして四斗五升俵を収納せんとしたため、徳左衛門は百姓の苦しみを救わんとして、三斗八升を一俵にせんと、藩強訴した。その罪により延宝三年十二月二十六日死刑に処せられたが、その翌年からは、徳左衛門強訴した、三斗八升を一俵として、藩に納めるようになった

 平井寺村では徳左衛門の徳をしのび、平井寺山に自然石でその碑を建立した。そして「林徳扇大神」の幟をたてて、その霊をまつった。





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