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平井寺文化財散策

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 昔の牧場の柵ではないかといわれている所。古川神社南側。 広い場所ですが坂なので所々、石垣が積まれています。 この様な石垣が何か所も有ります。

平井寺文化財散策

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  塩田平文化財保護協会により案内板が設置されました。 長年の風月により書いてある文字が見えません。

平井寺文化財散策 

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 平井寺の義民、林徳左衛門。 延宝三年の大飢饉の時、庄屋だった徳左衛門は、一人で窮状を訴えました。  上田藩の収納米が六六、八一七表のところ二二、000表も減じた「この飢饉のため農民はのびるをとり 塩に和し、木の芽をつみ草の根を堀 、 或いは焼酎のかすをあら慷にてこし、 団子に練りて一時をしのがんとせしに、その毒にあたりて膨張し死せるもの道路に充満す」という有様であった。上田藩はこの飢饉に際しても年貢をなお加増して、米にして四斗五升俵を収納せんとしたため、徳左衛門は百姓の苦しみを救わんとして、三斗八升を一俵にせんと、藩強訴した。 その罪により延宝三年十二月二十六日死刑に処せられたが、その翌年からは、徳左衛門強訴した、 三斗八升を一俵として、藩に納めるようになった 。  平井寺村では徳左衛門の徳をしのび、平井寺山に自然石でその碑を建立した。そして「林徳扇大神」の幟をたてて、その霊をまつった。

平井寺文化財を散策

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 先日、平井寺の古川神社、南側にある和尚さんのお墓とお地蔵さまを見てきました。 廃仏毀釈の時か、首から落ちていました。 倒れていたのを起こしました。 かなり重たい。 なからに。